2011年10月1日土曜日

演出論的覚書:Ⅳ章4節5款-α:トータルデザイン

  (5)その他、AVGの構造に関わる演出

  (α)トータルデザイン。ゲーム画面のレイアウトそれ自体、あるいはユーザーインターフェイスの視覚的聴覚的デザインは、作品全体の印象に大きく影響する。現在ではほとんどのブランドが多かれ少なかれ意識的に取り組んでいるが、その優れた成果の一つとして近時のEscu:de作品を挙げておく(註33)『ワンダリング・リペア!』ではインターフェイスやアイキャッチが時計の内部構造(歯車)になぞらえたデザインになっている。また、『ヴェルディア幻奏曲』は楽譜や音楽記号の形象を各所にあしらっている(――例えばテキストボックスは五線紙を模しており、クリック待ちアイコンはフェルマータ記号になっている)。両作品は、音響面をも含めた繊細な演出を行っている。インターフェイスの洗練は、SLGにとって重要であるだけでなく、AVGにおいても同様に重要である。

註33) 『ワンダリング・リペア!』及び『ヴェルディア幻奏曲』両作品のディレクターは水鼠、システムグラフィック担当ははなたかれとも及び蒼瀬




  【追記コメント】

『ヴェルディア幻奏曲』 (c)2008 Escu:de

(図1:)魔法の楽器を操るヒロインたちとともに音楽祭を成功させようとする物語。意欲的にも「サウンドスケープADV」と題されたこの作品では、コンフィグ画面にも五線譜や音部記号をモティーフにしたデザインがあしらわれている。
  (図2:)インターフェイス全体が音楽記号を基調にしたデザインで端正にまとめられており、洗練された統一感を印象づける。
  軽快にポップアップする感情エフェクト。清潔感のある立ち絵演出。TOY(Studio Primitive)による深みのある音響表現。美峰による色鮮やかな背景美術。これらが「サウンドスケープADV」のコンセプトの下にまとめられることによって、この豊饒なAVG空間が成立している。

『ワンダリング・リペア!』 (c)2008 Escu:de

(図1:)不思議な懐中時計を修理するために、思い出の歯車を集めるというのが、本作のコンセプト(「思い出組み立てADV」)である。

(図2:)タイトル画面にも時計の針、歯車、(懐中時計の)鎖、文字盤といったモティーフが満ち満ちている。
  画面左下の時計は、OSの時刻を参照して実際に動いており、さらにその右の「Voice」ボタンをクリックするとメインヒロインの声(CV:まきいづみ)で時刻読み上げをしてくれる。
  右側のキャラクター表示は、起動する度にランダム変化する。また、その背景部分は行雲アニメーションし、起動した時間帯によって空色(日中)、橙色(午後)、紺色(夜間)と変化する。
(図3:)アイキャッチも、落ち着いたベージュ色基調の中に歯車等をいくつも組み込んで、プレイヤーに時計の内部構造を連想させる。細やかさとおおらかさを両立させたデザイン。ベージュ色~セピア色は、もちろん「思い出」のイメージにつながっている。
(図4:)バックログ画面。ログをスクロールさせると、それに合わせて両脇の歯車も回転し、さらに回転音のカリカリというSEまで鳴るという凝りよう。
(図5:)移動場所選択画面。ここでも、歯車や鎖の機械的デザインが木々の曲線美と絡み合って、プレイヤーを穏やかな懐古的気分へと誘う。




  テキストボックスなどのデザインに対する基本的な方向性として、「立ち絵やエフェクトによって表されるものごとこそが重要なのだから、テキストボックスなどはそれらの邪魔をしないようにする――それゆえ、装飾を排してシンプルな形状、派手にならない色調でデザインする」というアプローチと、逆に「インターフェイス部分もまた画面内に常に存在し続ける構成要素なのだから、作品全体のコンセプトやイメージに合うように、さらにはそれを高めるように、積極的に様々な意匠を盛り込んでいく――それゆえ、作品毎に異なった、視覚的にもしばしば複雑なデザインを導入する」というアプローチの2つがあると考えられる。もちろん、実際には「シンプルなデザイン」と「洗練されたデザイン」は背反するものではないが。ちよれんに代表されるいわゆる「映像志向」的作品はしばしば前者に向かっており、またフキダシ型テキストボックス表示を行う場合(緑茶、ALcotなど)にはその機能上の要請からテキストボックスはシンプルに造形されることが多い。他方で作品毎に趣向を凝らしたインターフェイスデザインを作り込むブランドとしては、筆者の印象では、キャラメルBOX、Escu:de、Littlewitch、Favorite、UNiSONSHIFT、lightなどが頭に浮かぶ。
  ゲーム画面には絵とテキストさえあればよくそしてそれを最大限にかつ最良の形で見せるためにインターフェイスは極力自己主張を差し控えてシンプルであるべきだという立場はそれはそれで一つの見識として納得できるものではあるが、しかし他方で――これはもしかしたら私が読み物AVGだけでなくSLGにも、すなわちプレイヤーの前に提示されるその都度特有の「システム」及びその内部にある「メカニズム」(換言すれば計算過程)とに触れつつその中でそれらを通じて自らの判断及び決定を具体化していくことがゲームプレイの不可欠的要素になっている分野にも、一定程度親しんできていることも影響しているかもしれないが――インターフェイスの美的造形及び機能性もまた総体としてのゲーム体験の一部を不可避的に構成するのであってそのデザインはただ単に余剰的で絶対的に非本質的でそしてゲームの中核部分に対する視界を濁らせる外生的夾雑物に過ぎないのだとして切り捨てられるようなものではないと私は考えている。総じてAVG受容(あるいはPCゲーム一般の受容)に際しては、性的側面と物語的側面ばかりが取り上げられて、その美的体験たる側面――"審美的"鑑賞としての意義とゲームの"体験提供"的意義の双方――が相変わらず致命的に見失われ続けているように思われる。

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