2012年4月11日水曜日

経過報告(5)

  日々のあれこれその5(2012年4月中旬~)。日付も中身も適当です。


  うぐぅ。(へこまされた。ごめんなさい)



  2012年4月x日
  あの作品の「短さ」に対する不満というのは、作品単体の評価である以前に、あるいはそれではなくて、あのブランドの重厚長大路線――だと様々な経緯から想定された――に対する期待が満たされなかったことに対する不満だろう。例えば、穏健な純愛AVGを制作し続けてきたブランドの新作が、蓋を開けてみたら修羅場ものだったとしたら、それがどんなに出来が良くても不満の声は上がるだろう。あるいは、一貫してSLGを制作し続けてきたブランドが、新作ではAVG分野にコンバートしていたというような場合にも、それがAVGとしてどんなに素晴らしい作品であっても、同様の反応があるだろう(――そして、そうした事例は実際にいくつもあった)。ユーザーはしばしば、品質以前に嗜好に基づいてパッケージを選択購入しているのだし、そしてそのための重要な手掛かりとしてそのブランドが培ってきた「ブランドイメージ」を信頼するのは――その姿勢が正しいかどうかはともかくとしても――自然なことだ。
  もしもメーカーの側を――いかなる立場から、いかなる権限によって?――咎めようとするなら、それは今回の場合には、作品の不出来に対する批判ではなくて広報の失敗に対する批判の形で提起されるべきだろう(――「分割」云々を指弾している人々も、作品の内的理由によるサプライズを受け入れられていないからではなくて、外的事情において商品の事前説明が成されていなかったというその広告上の不誠実さに対する不信感の表れのように見受けられる)。また、この意味で、ブランドイメージに基づく特定の予期が満たされなかったことに不満を持ったユーザーの側に対して「実際には短くないじゃないか」「確かな密度と優れた品質があるではないか」と内容準拠で反駁するのは、反論にも擁護にも説得にもなっていない(――ましてや、「何十時間あれば良かったんですか?」と述べるのは、皮肉として成立していないどころか批判者と同じ種類の認識を見当違いの認識へと無自覚に鋳直して再生産しているという点において最悪の妄言になっている)。そうした不満に対して本当に有効なのは、ブランドイメージは所与として作り手を拘束するものではないのだと、創作の自由さを容認しあるいは肯定する方が結果として全体的にみてユーザーとしても利得になるのだと、説得することだろう。そして、もしもその説得が奏効しなかったならば、それは説得者の弁論スキルが足りなかったか、あるいはそうでなければ、この分野(この業界)にはそのような自由さは存在せず比較的強度の様式的分化及び個別ブランド乃至作品のそれらへの区分収納の共通了解が――例えばSF文庫、ミステリ文庫、古典翻訳文庫と同じような意味で――確立されそしてそれに基づいてジャンル乃至嗜好の予見の比較的高度な可能性及び保障がユーザーに与えられた世界になっているというのが現在の事実的状況なのだと自ら認めるしかないであろう。
  全体として、ユーザー側の一部がブランドイメージを(実際には無根拠、無保障であるにもかかわらず)特定の期待が必ず満たされるものと不用意に信頼しすぎていたことと、そしてメーカー側がブランドイメージの上に(おそらくそのイメージと新作との間の齟齬を十分に認識していたであろうにもかかわらず自覚的にフリーライドして)胡座をかいたことにあるだろう。――そして、このような創意に欠ける一連の思考をわざわざ綴ることによって私が確認したかったのは、作品の側には責任は無いと言うべきであろうしまた実際に作品それ自体に責を負わせようとしている人はほとんどいないであろうということだ。



  2012年4月末日(月)
  国内アダルトゲームの製品版マニュアルは、簡素なもので構わないと考えている。ここでキャラクター紹介に一々ページを割かずとも、パッケージ面やwebアクセスで必要なプレイ前情報は得られる筈だし、トラブル対応を細かく記載――特にSHC作品のそれは詳細だが――しても実効性があるかどうかはいささか疑わしい。インストール/アンインストールに関する案内は、必要最低限の情報であって省略すべきではないと思うが。個人的な要望としては、スタッフクレジットと主題歌(がある場合には)の正確な歌詞を記載していてくれるとありがたい。
  ……というのが、『DEMONION』のマニュアルのSLG作品にしては異例というべき簡素さを見て思ったこと。実際にはディスクメディア内にゲームパートについての詳細なマニュアルが含まれているので、単色刷りペラ紙一枚の折り込みマニュアルはインストール、基本操作、ウィンドウメニュー、サポート案内だけであっても問題無いだろう(――そしてコストの観点でもこれはこれでありだろう)。他方で、開封時の楽しみを提供してくれる彩り豊かなマニュアル冊子というのもあれはあれでたいへん嬉しいものだが。
  ところでこの魔王アスタロス様については、「たぶんネタキャラ、きっとネタキャラ」という予断を持って見ていていいんですよね? パッケージアートのご尊顔を見るだに、今一つ、こう、なんというか、微笑ましさが沸々と……。



  2012年4月29日(日)
  [ http://purespect.info/diary/index.html ](2011年4月15日付)
  いつの間にかHIKARUちゃんのイラストが一新されていた。丸一年遅れの情報だが。甘くておいしいので、近所のスーパーで見かけたついでに買ってきたところ。



  2012年4月29日(日)
  ※下記リンクはアダルトゲームサイトにつき注意。
  NEXTON-Luxuryの新作:[ http://luxury.nexton-net.jp/_product/lux001/index2.html ]。
  [ http://luxury.nexton-net.jp/_product/lux001/_sp/_point/002.jpg ]:立ち絵が画面両端から向き合って配置されるスタイルになる模様。多数の登場人物たちの会話劇が基軸になる作品では、こういう立ち絵対向配置型レイアウトは有効そうに思える。主人公立ち絵も表示されうるようにすれば、一対一会話の場面でも問題は無いし。また、メッセージウィンドウの枠形状も、台詞のムードに応じて変化するようだ。このようなメッセージウィンドウ形状の状況即応的変化は、スクリプトの手間がたいへん大きいのだと以前に実作者サイドの方から示唆をいただいたことがあったのを思い出すが、プレイヤー側の感触としては表情付けの明快さと見た目の楽しさがあるので積極的に導入してほしいと常々考えていたところ。
  ちなみに、キャスト当て[ http://luxury.nexton-net.jp/_product/lux001/_sp/_cast/ ]は全然分からなかった。アンジェリカ役はおそらくO氏だが、それ以外の3人がピンと来ない。それにしてもちょうどあのアニメを観ていたところなので、この口調の狐キャラを見るともやもやしてしまうのだが。(→後日追記。キャストが発表された後でtwを見てみたら、4人とも正解している方がたくさん……声優マニアおそるべし。)



  2012年4月29日(日)

(2012/2/22撮影)某大学生協にて。桜乃さん?


(2012/3/12撮影)……いえ、つい。ふだんこういうお菓子は食べないのだが、たまたま目に入って買ってしまったもの。

(2012/4/28撮影)三条のあの店の前。PCゲームの話題とは関係無いが、あまりにもあまりなのでつい撮ってしまった……何やってんのこれ。



  2012年4月29日(日)
  『美少女ゲーム声優のお仕事』は、口絵部分に30ページほどフォトグラビアがあって少々驚いたが、本文のインタヴューは至極まっとうなもので、声優個々人の演技観、ゲーム声優の環境(社会的環境と現場環境)、収録時の役作りに関する具体的なエピソード、そして過去の収録現場状況とその変遷(地位向上)についての体験談まで、様々な話題をうまく引き出している。なかでも、PCゲーム音声収録黎明期の収録環境(とその当時の問題点:例えば台詞部分のみの抜き台本)に関する北都氏の歴史的証言、PCゲーム演技の特質(ゲーム用の、アダルトシーンを含み、声のみによって表現する、個別収録環境という条件)についての大野氏の重要なコメント、草柳氏の天才肌ぶりを暴き出していく金田氏のトーク、そして青山氏の思慮深くも真摯なコメント、このあたりは特に読まれるべき価値が、そして保存されるべき価値がある。



  2012年4月28日(土)
  大槍氏の個展を見てきた。展示されていたのは五十数枚。複製イラスト販売企画の趣が強いせいもあってか、展示の配列や照明は残念ながら無頓着。土曜日の午後なのに私の他に誰も客がいなかったのは、良かったのか悪かったのか(――すでに売り切れの品がいくつかあったので、欲しいものがある人はおそらく初日のうちに行っていたのだろう)。アナログ媒体上で氏の絵をきちんと見たことが無かった――ゲームパッケージのマスプロ印刷は絶対的なものとは言いがたいし、またPCディスプレイは環境による変化が避けられない――ので、その確定された色味、サイズ感、筆致を見ることができたという意味でも収穫はあった。そもそも見たことの無かったイラストも多かったし。



  2012年4月27日(金)
  すみっこ新作のパッケージは、予約特典の『あきお』ディスクも収納可能なように内箱形状が誂えられていた。こういう配慮は嬉しい。Astronautsの新作は、かなり売れているのか、京都市内では数店舗見たかぎりでは一般販売分はまったく見当たらなかった(――もちろん買ったが)。『虹翼』『蒼刻』なども購入したが、プレイするのは後回しになりそう。
  新作『愛する妻、真理子が~』。パッケージには「名前変更機能も完備! 身近な人の名前を入れるとNTR感アップ!」とある。そういうものなのか。……いや、それはともかく、以前はこの分野はネタが初めから割れている(オチがあらかじめ分かっている)出オチ分野じゃないかと思っていた――失礼ながら見くびっていた――が、それは考えてみれば純愛分野に対して「どうせくっつくんだろう」と指摘するのが何の意味も成さないのと同じように的外れな見方なのかもしれないし、そして実際にもこのように既存のテクニックやアイデアを応用もしながら、コンセプトの洗練と深化や表現技術面での開拓が成されているのかもしれないと考えを改めさせられた。
   今年、4月末までの4ヶ月間で購入したゲームは34本、CD/DVD等は103枚。書籍類はカウント不能。こうして数えてみると購入本数は多そうに見えるかもしれないが、低価格タイトルが増えているので実際にはそれほどでもない。また、当然ながらフルプライスアダルトゲームばかりというわけでもない(再版、中古購入、女性向けなども含まれている)ので、支出額はさほどでもない。これらをいつどのようにプレイするかは自分一人の問題(対内的事項)だが、対外的には、こうした娯楽産業に対してきちんとお金を出す「消費者」であり続けていたい。5月は『イブキ』『冬馬』を軸に、いくつか見繕って買うつもり。



  2012年4月24日(火)
  私も「初めてで痛がっている」描写は見ていて辛い。ファンタジーでいいから、ヒロインが気持ち良さそうにしていてくれると嬉しい、というか安心できる。そういえば、最近でも幾度となく観返しているアニメ『ヨスガ』も、濡れ場シーンの絵――どうやら本作のみならずアニメ一般に特徴的であるように思われるあの妙な構図志向、妙なパース、妙な人体バランス、妙な肉付き表現、妙な肌色質感――は私の好みから遠く外れていたにもかかわらず、その都度(笑)のカップル同士がいかにも楽しそうで嬉しそうで気持ち良さそうで幸せそうにしていた、その一点においてそれらのシーンは私の中にたいへん好ましい印象を残すものになっている。
  アニメ『ヨスガ』の良さというのは、――私見として以前も書いたし、またそれ以前からつとに指摘されていたことだが――アニメならではの画面作りの楽しさと、そしてとりわけ音楽的進行の流れの良さ(映像と音響との間の細やかな同期進行と、そこからもたらされる印象深い緩急の「間」の現れ)にある。個人的には1巻(小野氏演じる「渚一葉」編の美しさを極めたクライマックスまでの3話)と、3巻(「依媛奈緒」編、いのくち氏主演の優しくもウェットな物語)が特に好みだが、2巻(「天女目瑛」編)も例のめざましいジャンプカットを初めとして見所が多いし、もちろん4巻(「春日野穹」編)の盛り上がりも視聴する度に嘆息を抑えられない。
  本作のメインスタッフは現在[ http://boku-h.com/ ]を手掛けているようだが、これは『ヨスガ』チームとしての業績が正当に評価された結果であると信じたく、そして今回も鋭敏さと楽しみに満ちた映像作品を制作されていることを期待する。



  2012年4月24日(火)
  大槍氏のイラスト展が京都に来るのか(4/27~5/6)。行こう。



  2012年4月23日(月)
  SFとミステリが培ってきた様々な関心と発想と問題提起が数多くの創作分野に対して優れた知的刺激と豊かな成果をもたらしてきたことは高く評価しているが、しかしSF的真理要求とミステリ的真相探求――ただ単にSF的考証やミステリ的受容に引き寄せるだけでなく、単なる現実認識に準拠した整合性を「正しさ」として無権限にも規範化して作品の価値を切り捨てる姿勢や、無根拠にもその受容及び読解の視野を狭めたうえでその作為的恣意的な前提の下での「正解」を期待する姿勢――は、とりわけ前世紀末以来オタクたちの創作物享受を歪めてきたと考えている。創作物に対に対して「リアリズム」を前提として臨む姿勢の越権乃至誤解(あるいは真理要求の不要性、不当性)についてはtw時代に述べてきたのでもう繰り返すつもりは無かったが、しかしもちろんそれらに対する苛立ちが収まったわけではない。



  2012年4月23日(月)
  近年の(とりわけ非専門家レベルの)web言論に対して事ある毎に私が感じずにはいられなかった違和感の急所は、「読み手に向けているのかいないのか、誰にともなく猫撫で声で語りかけているような、あの中途半端な語り口」にあるのかもしれないと思い至った。十数年前に私がアクセスするようになった頃のweb言論は、具体的直接的な討論相手に対する対話的語り(今ここにおける特定の相手のためのダイアログ)と、個々の状況に縛られない一般化された形での叙述(モノローグであり、真理に対する責任感を伴ったモノグラフ)との二様の語り口、二様のテキストが、今よりも截然と区別されて存在していたように思う。もしかしたらこれは単なる「理想化された過去」の像であるかもしれないが、しかしブログ日記や公開掲示板やtwが一般化するようになったこの十年間に鑑みればまったくあり得ない話でもないだろう。そしてまた、そうした変化は(ネット利用の普及と技術革新の方向性からして)自然なことだしそれ自体として不当なものだと言うつもりも無い。しかし、私自身はその上記のように分離されたweb言論のあり方の明晰さと節制と責任意識と自由さと慎重さを好意的に見てきたし、またそれを別としても――幼少時からの長い読書経験によってモノローグ的テキストを読むことをこそ最も自然な行為として慣れてきていたためもあろうか――近年の混淆的テキストに対して馴染めなさを覚える。雑駁に言えば、そうしたテキスト、そうした文体、そうした語り口のその誘導的な身振りは――どのような閲覧者が現れるか分からないweb空間において無用の角を立てない処世のあり方としてそれはそれで理由のあることだと思うが――いかにも押しつけがましく鬱陶しいのだ。私にとってはテキスト(書記言語)はいまだに、例えばメールやtwにおいてすら、基本的に共感だの承認だのを媒介するための手段ではない。こうして私がいろいろな雑記を綴っている時も――もちろん特定の読者[層]の想定を持つかどうかは別にして――徹頭徹尾モノローグとして書いているし、それが私には最も楽なものだと感じる。
  そして、ちなみに、私がtwには戻らないであろう理由の一つもこの点にある。基本的にはtwでもPCゲームに関する突慳貪なモノローグばかり垂れ流していたつもりだったが、しかし実際に自分の投稿ログを読み返してみると文末に「だけど」「かなあ」といった歯切れの悪い人目窺いぶりとその情けないぎこちなさが露呈していて読み返すのが苦痛に感じる(――そうした覚書を読み返してきちんと生かしたいのだが)。私自身、twから完全に断絶したわけではなくて、ログイン利用を止めてからもtw利用者諸氏の個々のアカウント(個別投稿ログ欄。フォロー関係のあった方々のもそうでない方々のもいろいろ)はよく見に行っていて、「この方とはあの作品やあの作品についてもっとお喋りしてみたかった」とか「あの方には、せめて一度でも直接リプライを出して話しかけてみたかった」とか「当時は知らなかったけれど、こんな方がtwにいらっしゃったのか」と思うこともありはするが。また、さすがに余所様のブログにコメントする時はもっと親しみやすく対話的な姿勢をとるべきものだというのは、つい先日反省させられたばかりだが。



  2012年4月23日(月)
  すたじおみりす、Liar-soft、ソフトハウスキャラの三ブランドはお互い仲が良いようだが、ユーザー層はどのくらい重なっている(いた)のだろうか。みりすとLiar-softの仲は比較的有名だろう(居酒屋対談、「紅涙先生」の作中登場など)が、Liar-softとSHCの間でもSHC公式サイトのキャラクター人気投票にウラシルちゃんが乗り込んできたこともあったし、みりすとSHCの間にも直接間接の交流が何度か見られた(――SHC公式サイトで漫画を不定期連載しているきくぢん氏はみりすでいろいろ仕事をされていた方だし、『青空がっこ』には佐々木氏と皇氏がゲスト原画参加していたりもする)。
  そうした人的関係だけでなく、ゲーム作りの基本姿勢について見ても、自由で個性的な状況設定とその中でのマルチアクター関係の豊かさ、さまざまなところで見え隠れする教養の深さ/幅広さと余裕のあるパロディ精神の旺盛さ、コメディやバカゲー傾向に対する強度の親和性、そしてプレイヤーのTRPG的参加要素――それは「目的追求的な、難易度の高い『ゲーム』要素」であるよりむしろ「物語を(状況を/イベントを)展開していくための基盤となる、遊戯的な独自システム」として受け取られる――といったおおまかな共通性は、他のブランドにはあまり見られないこの三者の(しかも、非常に優れた)特質であり、そしてこれらの個性の現れによって男性向けアダルトゲーム分野は数多くの啓発的な刺激を受け取ってきた。
   その他に、もしかしたら暗示的であるかもしれない共通性としては、FDの少なさ、遊郭話の多さ、特定声優(それぞれ顔触れは異なるが)の連続出演、そして麻雀シーンの頻出といったものがある。私は麻雀にはとんと疎い素人だが、例えば紅涙氏、天野氏、内藤氏が卓を囲んだらきっと知的でドラマティックな展開になっているだろうなあと想像したりもする。
  冒頭の問いに戻ってみると、この三つのブランドのユーザー層の間には、有意と言えるほどのオーバーラップは無いように思う。話題性(ネタ要素)が強く牽引したみりす、桁違いに多様な方向性の作品をリリースし続けていて近年では一種の「文芸的」志向への傾斜も強めているLiar-soft、SLG専業ブランドとしていわゆる「ゲーム要素のあるブランド」の範疇で語られがちな(そして残念ながらそれ以外の重要ないくつもの側面が依然として閑却されたままであるように思われる)SHC、という人目につきやすい個性の部分があまりにばらばらな方向を指しているせいもあるだろうし、三者のうち二社が悪名を馳せていた一因であった「バグ」要素もこれらのブランドについていくことをいささか困難にしただろうし、またとりわけそのうちの二社については旧作高額化という外的事情に由来するアクセスしにくさはファン層の広がりを制約した可能性がある。私自身について言えば、SHCに興味を持った(興味を持つことができたきっかけ)のはかなりの偶然に依存していたし、みりすとLiar-softについては長い間「バグ」の噂におそれをなしてなかなか近づけずにいた。実際には、どれも刺激的で素晴らしい作品であって、後からプレイする度にもっと早くにプレイしていればと痛感させられるものばかりだった。



  2012年4月23日(月)
  そろそろゲーマーらしい生活を取り戻そう。『英雄*戦姫』をプレイする時はユニット性能よりもキャストで選ぶんだ……(悪戦苦闘フラグ。もっとも、「選ぶ」と言うのが失礼なほど、どの出演者も実力実績ともに素晴らしい方々ばかりだが)。



  2012年4月23日(月) 「志保15枚目ー」
  [ http://naminamikonamin.blog.fc2.com/blog-entry-73.html ]
  あれれ、これってわりと凄くない? ということで試しに計算してみた。カードがどれになるかは完全にランダム(等確率)だと――つまりレアカードなどの偏りは存在しないと――仮定して「8枚パックを2つ購入した」ことを「100種100枚のカードの中から1枚を引く行為を16回独立試行した」と構成したうえで、その16枚の中に100種類の中の特定のカードA(ワイナカパック単体イラスト)とカードB(ワイナ&モンテズマのイラスト)がそれぞれ少なくとも1枚含まれている確率はというと……ざっと2.1%。確かにこれはなかなかの「すごい確率」だ。さすがは「鳳凰」に喩えられた声優さん、強運の持ち主でいらっしゃる。ただし、「16回引いた中に、A and/or Bが合計1枚以上含まれている」だけでいいなら――つまり「何でもいいからとにかくワイナたんのカードをもらえればいい」のであれば――、確率は27.62%に上がる。

※高校文系数学レベル、あるいは中学数学でも解けるかもしれないレベルだろう。最もシンプルな計算式は:(100^16-99^16-99^16+98^16)/(100^16)*100=2.08821784% だろうか。



  2012年4月23日(月)
  先日(下記)のトークイベントの件。申し込みする決心ができた。この方々の謦咳に接することのできる貴重な機会は、やはり自分の中で見過ごすことができなかった。これまで声優さんのイベントに参加したことは一度も無いので、どんなふうになるものなのか、どんなふうに振る舞えばいいのか、想像ができず不安もあるが。
  こういうイベント(しかも、わりと大きくなりそうな規模のイベント)では、一般参加者が差し入れなどをすることはできるのだろうか。もし可能なら、関西にいらっしゃった記念として何か差し上げたい。京都の小物とか神戸スイーツとか。ただし、事実上匿名での贈り物になってしまう点は気を遣わねばならないし、ご本人やスタッフに手間や面倒をお掛けすることになっては本末転倒だろうし……。どうしたものか。さしあたり無難なところでFREUNDLIEBを第一候補にして検討しているところ。京都市内の大学のサークルが主催している企画だという点に鑑みれば、京都土産でも良いかもしれない。きれいで食べやすい和菓子とか。



  2012年4月19日(木)
  [ http://www.rits-vaken.info/event12s/ ]
  え……えっ……ええーーーっ! 何これ! 行きたい! アニメ『ましろ色』コンビ! アニメ『ヨスガ』! (元)お茶会! 実はTH2生徒会ラジオも聴いてるし! その他いろいろ! ……けど、どうしよう? えーと、ggってみたらプリズムホールって600人くらいは収容できる会場のようで(cf. [ http://www.ryoko.st/blog/archives/2011/05_51_in.php ])、たぶんチケットは取れそうな感じだし、それにこの規模ならこっそり紛れて参加しても大丈夫かも……。



  2012年4月19日(木)
  [ http://konosora.jp/ ](※左記リンクはアダルトゲームサイトにつき注意
  車椅子キャラクターはすごーーーーく苦手なんだけど、『BB2』に続く萌花ちょこ氏のヒロイン級出演作品は聴き込んでみたいし、主要スタッフもこんな感じだし……ってこれ、mephisto-game.comの管轄なの?



  2012年4月18日(水)
  今朝の一幕:アホ毛が生えてしまった。(すぐに直したけど)



  2012年4月18日(水)
  無反省なオリジナルエンジン信仰が弊害を生むことがあるというのは素人の私にも想像できるが、しかしゲームメーカーが独自エンジンを作らない(あるいは作れる用意を備えていない)というのは、「技術開発、人材の育成及び確保、ノウハウの蓄積にきちんと投資していない」のではないかという疑いを、ひいては今後とも既製のコモンな道具立て以上の新しいものを自ら作り出す能力もその伸びしろも期待できないのではないかと懸念する立場は、絶対的に正しいとは言えないにしても、十分に理由のあるものだろう。もちろん、どこまでを自社開発するかどこまでを既存技術の援用によって効率化するかはものによるし(状況による)し、またそもそもユーザーサイドのお節介に過ぎないと言われれば確かにそうではあるが。ちなみに、剽窃についても私は同じ理路――技術の行き詰まりと分野の先細りをもたらすという懸念――に沿っている(cf. [ http://twilog.org/cactus4554/date-100611 ])。
  ただし、上記の話は基本的にはコンシューマ分野についての長期展望的な考えであって、AVGが多数を占める現在のアダルトゲームに関しては差し迫った問題にはならないだろう。むしろエンジン部分の開発と運用が分業化/専業化/専門化することのメリットの方が、さしあたっては大きいように思われる。



  2012年4月18日(水)
  当初は二重まぶたを意味していた筈の線が、無理解な原画家やグラフィッカーの手によって「よく分からないけれど因習的に通用している目元装飾デザイン」として扱われてしまうのも、よくあることですよね。もちろん誤解や無理解が起源を離れた新たな表現を開拓することもありはするし、クリック待ちアイコンについてもそのような既存機能の応用や目的外拡張による新たな役割の獲得が生じるのは面白い現象だと思うが。



  2012年4月18日(水)
  「○○はすでに常識であるが」「○○であるのは周知のとおりだが」といった言い回しをあのあたりでたまに目にするが、これは一種の権威論法を提示しているに過ぎずまっとうな論証のできない馬鹿に見える、あるいは馬鹿そのものになってしまうので、止めた方がよい。経験上、それらの言明の内容に照らしてみても、説得力のある主張であったためしなど(記憶のかぎりただの一度も)無いのだが、論証を不当にバイパスしつつ非常に強い――「常識」としての堅固かつ広汎な共通了解が存在するという装いでの――主張の形で提起しているそれらの姿勢は、それを主張したい時の苦しまぎれのレトリックなのかそれともただ単に知的不誠実ゆえの強弁なのかは分からないがいずれにしても公平(非属人的)かつ客観的(検証可能)な議論として有効なものではないし、それが事実命題であるならまだしも「それを認識可能にするための実例がすでに存在する」ということのパラフレーズとして受け取る余地もあるのだが、評価的言明に際してこの論法を採ったり議論の最初の足掛かりとしてこうした主張を提起したりするのは本当にあり得ない。十分な論拠があるならそれを提示すればいいし、根拠が無いなら無いなりの控えめな主張にとどめておけばいいのに……。そして、本当に恥ずかしいことに、私の狭い見聞の範囲ですら、アダルトゲームに関するユーザー言論(の、あくまで批評的一部分であることを強調したい)ではこれを何度も見かけている。文字通り「論外」の(非-)知的姿勢なのだが、もしも本当に内輪的了解確保のためにそういうことばかり繰り返しているのなら、その悪習と呼ぶほかない言語慣習の腐った土壌からはろくな議論は育たないだろう。いずれにせよ、「言っていることが信用できない(信用されない)」ことのダメージを理解できない、あるいはそれがダメージにならない程度の安い言論しか行っていない人たちは気楽なものだと思う。
  私にとってはもはや心情的にどうでもいい範囲の話ではあるが、しかしその心情の下でもその詭弁じみた口ぶりを目にした時の苛立ちを完全に免れさせることにはならない、という話。



  2012年4月18日(水)
  実際、粘り気のある水音を出すための可食アイテムが開発されてもいいのではないかと思ったが、もしかしたらアダルトゲーム声優諸姉(及び諸兄)の間では「これを使うといいよ」と普及しているアイテムがすでにあったりするのかもしれない。さすがにハチミツでは、口や指先に絡めて水音を出すのに使うと後始末が大変だろうけど。雑誌インタヴュー等の情報によると指を舐めたり手の甲を吸ったりして音を出すことも多いらしいので、ネイルケアやスキンケアも大変だろうし……。
  そういう(わりとどうでもいい)好奇心とは別に、実際の収録現場を見てみたいと思うことはよくある。ゲーム音声では単独収録が通例であり台詞(ワード)単位で区切って収録されているようなので、実際に出されている声量がどのくらいなのか、そして収録中のワード間の全体的なムードのつながりがどのようにコントロールされているのか、といった点には興味がある。例えば青山氏や松永氏は、どのくらいの声量で演じておられるのかかが(少なくとも私には)とても分かりづらくて、キャラクター個別音量調整できる場合にどのくらいに設定したらいいのか判断に迷うことがある。もしも機会があれば、収録現場の見学は一度してみたい。



  2012年4月17日(火)
  『いな☆こい!』をまたプレイしたいような、いや別にそうでもないような、微妙な気分。五年以上前の作品なのだけど、その後の流行を絶妙に先取りしていて――ただし、その後の流行を「形成した」のかどうかは分からないが――、現在の目で見ても2006年の作品としては不思議なほど先進的に映る。立ち絵への注力(差分変化の緻密化)やSDカットインを初めとする演出面での開拓、神格キャラクター(世界設定上、物語進行上の御都合主義的特別なルールの設定者/担保者)、開き直った変人キャラクターたちによるコメディ脚本、公式サイトの洗練されたデザイン(当時のアダルトゲームメーカーサイトとしては驚くべき水準だった)、有名声優を起用しつつもかなり意欲的なキャスティング、そしてヒロイン人数は絞り込みつつも純愛系脚本を大規模に展開しつつ――章構成型脚本を導入し、4人のヒロインにそれぞれhappy EDとbad EDの二種類が用意されている――その中にアダルトシーンを多めに盛り込んでいくスタイル。これらの中には、一時的なブームとしてすでに終息したものもあれば(例えば神格キャラクター闖入ものは2008年10月の『コンチェルトノート』から2009年5月の『天神乱漫』あたりで流行のピークを越えたと思われる)、分野全体に十分な浸透と拡散を果たした要素もある(例えば章構成脚本、純愛系でのアダルト要素の拡充、木村あやかの純愛系進出など)が、いずれにせよ世代交代しつつあるユーザーに受ける(売れる)ためのゲーム制作センスの鋭さとそれを実現するための現場的(技術的)努力に関しては、当時から際立った存在だった。もちろん、そうした嗅覚の鋭さは、ブランドとしてのWhirlpool全体について言えることであって、この作品に限ったことではないが。/それにしても、「脱ぐと(絵が)しょぼい」のだけはなんとかしてほしい。ドロレス嗜好も無く、シルエットのスレンダーな造形美があるわけでもなく、肉感性志向の表現も見出せず、私の目から見ても何がしたいのかまるで方向性が掴めない。この意味で、個人的に全年齢化してほしいブランドの筆頭だったりする。



  2012年4月16日(月)
  告知。意見交換に一区切りついたようなので、立ち絵演出の記事(http://cactus4554.blogspot.jp/2012/04/casestudy.html)は来週頭(4月23日[月])を目処に削除します(――資料的価値があると思われる引用画像などは、別の記事に移植して使うつもりですが)。さらなるコメントがあって議論に進展があった場合は、その分だけ期間延長しますが、いずれにせよ記事自体の永続保持をするつもりはありません。→削除しました。

  丸々二週間、ゲームの新規プレイをしていない。こうした中断期間はこれまで何度もあったし、思考を発酵させる時期はけっして無駄ではないと知っているし、新年度最初の時期は――外形上は毎年同じようなものであっても――生活全体のペースをつかむのに戸惑うことがあるのでやむを得ないことも分かっているが、もどかしさはある。感激の余韻を心中反芻し続けていたい未練を断ち切って、 今週末あたりからはゲーマー生活に時間を割けるようになれば……。



  2012年4月15日(日)の先行入力
『腐り姫』 (c)2002 Liar-soft

演出論Ⅳ章4節1款βより再掲。

  『腐り姫』の画面構築スタイルについて。別のところで書いた話の延長だが。この作品では、このように背景画像の中にモノクロ立ち絵画像を嵌め込むスタイルを採用している(――ただし、全ての場面がこの形態を取っているのではなく、現在一般的な立ち絵表示スタイルが採用される箇所も間々ある。もちろん一枚絵シーンもある)。このような造形方法を採用することによるメリット及びこれが発揮している効果について、まず外形的に評価すれば:

1)AVG形式の中でロングショットの構図を成立させて、作中舞台それ自体を強調させた
2)多彩な人物画像を低コストで制作し使用することを可能にして描写密度を引き上げた
3)表示される登場人物にその存在の脆さと不確かさの印象を付与した
4)同社ゲームエンジンのビスタサイズ背景レイアウトの効果的運用の試みとしても解釈される

という四点を指摘することができるが、考えてみるとさらにもう一点、この作品ならではの重要な特徴がある。すなわち、

5)序盤からのロングショットの頻出は、ただ単に作中舞台のムードを強調しているだけでなく、後に現れる「赤い雪」のシーンの衝撃のための下準備としても機能している

という点は、無視されてはならないだろう。試しに、仮に本作が一般的な「正面背景+正対立ち絵」スタイルであった場合を想像してみるといい。人々が実際に行き交っていた場所とそれが赤い雪に覆われた無人の地になった有様との対照を、プレイヤーの眼前にはっきりとした形で提示することに、この遠景の背景画像の構成が大きく寄与していることは理解できるだろう。ここでは、「物語の成り行き」と「見せるべき重要な場面の特別な視覚演出」と「基本となるゲームデザイン(ゲーム画面レイアウト)」の三者が、最大限の表現効果のために正確に平仄を合わせている。真に優れたもの――文芸上乃至芸術上の創作物であれ哲学的思考のテキストであれ工学的技術であれ――は考えれば考えるほど豊かな示唆が見出されるものだということを、あらためて認識させてくれる。

  以上を前置きとしたうえで、ここで本題として強調しておきたいのは「簸川夏生」役の西田こむぎ氏の芝居の素晴らしさ。西田氏といえば可憐なキャラクターや生真面目なキャラクターの配役が多いように思われ、確かにそうした役柄に際しても知的で思慮深い表情を見せていたが、このような活発で積極性に富んだ配役の場合にも非常に個性的で印象深い演技を披露しておられた。薄味の愛嬌を常に湛えつつも、猫の目のように機敏に移り変わっていくその感情表現の的確さと鋭さ、早口気味の台詞に際しての滑らかに流れていくその口調の痛快さ。実に爽やかで心地よい刺激に満ちていた。この『腐り姫』(2002年)は西田氏の比較的初期のキャリアに属するが、その後も『ひめしょ!』(XANADU、2005年)のSFスラップスティック物語の男性(ショタ)主人公役での活躍、『もしも明日が晴れならば』(ぱれっと、2006年)での悲劇とユーモアと強情と逡巡を綯い交ぜにした主演芝居、そして『アトリの空と真鍮の月』(TOPCAT、2009年)でのしたたかさと天然じみたあっけらかんとした表情と苦しみの真率さの絡み合った複雑な人物造形の表出に至るまで、出会う度に忘れがたい稀有な魅力を放射し続けていた。2010年春頃以来、新規作品への出演がほぼ途絶えているのが残念でならない。



  2012年4月14日(土)の先行入力
  コメント欄の投稿者表示アイコンにプロフィール画像を使用させるのを失念していた(設定変更可能)。これでモンドリアン的画像が反映されるようになった。私以外のblggrアカウント保持者についても、同様にご自身のプロフィール画像が適用されるようになっている筈。



  2012年4月13日(金)の先行入力
  若き覇王と夜の歩道橋上で対等に語らうのって、ああ、あれ、男の子メンタリティの発露だったのか……。プレイ当時の私にはピンと来なかったが、そう聞いて成程となんとなく理解しつつ、こちらが気恥ずかしくなってきた。深夜に外車を運転しながら来し方の物思いに耽る(『白詰草話』『空色の風琴』)のは、プレイしていてさすがに「ああ、そういうロマンなんだろうな」と察することはできたけれど。



  2012年4月12日(木)の先行入力
  テキスト表示形態について。以前考えていたところでは、「表示位置:固定-可動」「枠形状:固定-可変」の2軸で分類したら、まずまず分かりやすい見通しになった憶えがある。cf. [ http://twilog.org/cactus4554/date-101212 ]の18時14分以降。

  メッセージウィンドウ表示位置の「固定-可動」は、おおまかな分類としては
1)完全な表示位置固定:画面下部固定タイプで、1クリック単位でテキスト更新されるもの。
2)準固定:全画面に(しばしば複数行、複数クリック分の)テキストが表示されていくヴィジュアルノヴェル形式。『めぐり、ひとひら。』『Clover Heart's』『SWAN SONG』のように比較的自由な表示位置を取るものもあり、一概には言えないが。
3)中間形態としての複数化:規格化された複数位置表示。『かぜおと、ちりん』『青と蒼のしずく』『LikeLife』『らぐな☆サイエンス』『空帝戦騎』『アマネカ』『水スペ』『よつのは』『満淫電車2』など。テキストボックスの形状それ自体は基本的に変化しないが、『青と蒼のしずく』のように数種のサイズを柔軟に使い分けるタイプもあり、また『よつのは』は下記第5類型の一種として捉えることも可能であるなど、厳密な分類は困難である。
4)準可動型:近年のALcotの、キャラクター立ち絵に自動的に追従するようにゲームエンジン側で一定程度規格化されたテキストボックス表示位置(『幼なじみは大統領』『鬼ごっこ!』)。擬似フキダシ型の柔軟な表示位置移動が生じるが、これもテキストボックス形状それ自体は一律である。
5)自由可動型:フキダシ型テキスト表示が典型。Littlewitch(『白詰草話』『Quartett!』『少女魔法学』)、LASS(『FESTA!!』)、緑茶(『プリンセス小夜曲』以降)、Purple software(『初恋サクラメント』)、light(『タペストリー』以降)等。テキスト文字数に応じてテキストボックスのサイズも変動するのが通例である。
6)特殊事例:ユーザーによる手動移動が可能なもの。『はぴねす!』のcatsystem2が典型。また『化石の歌』は、移動だけでなくサイズ(縮尺)の任意変更も可能だったと記憶している。縦書き/横書きのコンフィグ切り替えを可能にしているものもある(TOPCATの『果て青』『アトリ』、raiLsoftの『霞外籠逗留記』など)。また、上記の混用スタイルもある(――例えば、会話シーンでは画面下部固定表示だがモノローグ部分ではVNスタイルになるタイプ、あるいは立ち絵シーンと一枚絵シーンとで表示スタイルを切り替えるものなど。『WHITE ALBUM』『pianissimo』『いつか、届く、あの空に。』等々)。

  メッセージウィンドウの枠形状「固定-変化」については様々な次元がある。基本的には演出論(Ⅲ章2節6款)で書いたとおりだが。
1)完全固定デザイン。背景透過度等をユーザーコンフィグで変更できる場合もあるが。
2)場面の性質等に応じた、表示スタイルそのものの変更(――例えば、会話時の画面下部表示とモノローグ時のVN形式を自動的に切り替えるもの)。
3)視点変更等に応じた、枠デザインの変化(――主に枠やテキスト背景の色変更。実例は多い)。
4)フキダシ型テキストボックスにおける、テキスト量に応じた枠自体の(自動)伸縮。
5)個々の(1クリック単位の)テキストの性質に対応した変化(――例えば、地の文テキストと台詞テキストとで切り替えるもの:『白詰草話』『タペストリー』)。
6)台詞のニュアンス等に対応して指定される一時的な形状変化(『プリンセスうぃっちぃず』『しこたまスレイブ』)。これもかなりスクリプトの手間が掛かるらしい。

  テキスト表示の「固定-可動」「固定-可変」についての全体展望としては、ないしょ氏(twitter ID: Naisy0)の図[ http://green.ribbon.to/~erog/GIGA/gr/Window.jpg ]が明快であろう。対応する画面構築スタイルのモデル(「○○型」)も付記されており、目指されている方向性を捉えやすい。可動+可変を完全な意味で実行しているのは、知るかぎりLittlewitchとlightのフキダシ型テキスト表示のみ。もっとも、代替手段もあるのでこれだけでは公平な評価にはならないが(――上下黒帯によるモード変化表現、話者アイコンの表情変化による語気表現など)。



  2012年4月11日(水)
  可読性を考慮して、ここからは日付昇順に。そもそも誰かに読まれることはあまり想定していないが。

下記リンクはいずれもアダルトゲームサイトにつき注意。
http://www.aicherry.com/ateliersakura/ntr/brand/015/015.html
http://www.aicherry.com/ateliersakura/ntr/brand/015/image/charaillust2.jpg
作者(スタッフ)本人が作中に登場するのは男性向けアダルトゲームでは致命的なタブーだと思っていたけど、スタッフが主人公として登場してもユーザーに絶対に不快感を与えずにいられるという奇跡的なポジションがこんなところにあったんだね!

http://www.appetite-game.com/apt_008.html
……『タッチ』じゃねえか。

  ということで、せっかくなのでこの2本は今月末に買ってみよう。

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