2013年6月11日火曜日

farewell

  おしまい。


  cactusとしての活動をやめます。

  web上に存在するいろいろなものが許せなくあるいは耐えがたくなりましたが、その一方でこの自分自身が潔白なふりをしたままでいることも許されないと思いました。それゆえ、この人格を消滅させる権限と能力と義務を持つと考える者として、それを実行します。この考えに至らしめた原因は無数にありますが、それはもはや言及すべきではないし、する意味もありません。

  それに伴って、このブログでの活動も終了します。ただし、ひとたび情報を公開した者が最後まで果たすべき責任として、ブログ自体はこのまま残しておきます。これから数日間はブログ整理のための活動を少しばかり行うかと思いますが、新たな文章を書き出すことはありません。サイトの方でも、必要最低限の管理作業や機械的な情報更新は行いますが、cactus個人としてのパーソナルな発言や主張は今後は行わないでしょう。もしもコンタクトをとる必要がおありの際は、このブログのコメント欄か、サイトに記載してあるメールアドレスにご連絡下さい。

  ただし、ゲーマーであることをやめるわけではありませんし、ゲームにまつわる様々なことを書き残していくという習慣にも慣れてしまいました。おそらくは、いずれ別のところで、無名の声オタとしてひっそりと活動再開するのではないかと思います。その時は、ただ美しいことだけを、つまりゲームのことだけを、口にしているようでありたいものです。

  しかし、それはただ単に過去に目を瞑り糊塗することにならないのか、あるいは表面上名前とurlを変えただけで同じことを続ける欺瞞ではないのか、この名前が負ってきた責任と繋累を免れようとするだけのことではないのか、といったことも考えました。しかし、この人格をweb上で消滅させることはどうしてもしなければならないという結論を変えるには至りませんでしたし、私にとってはこの名前とアイコンを放棄するのはそれに見合うだけの重大な行為ですし、そしてこれよりもましな方法を考えられませんでした。今後の私の消息をお伝えしておきたい方々が幾人も脳裏に浮かんでいますが、しかし今このようなことをする以上、私が最低限公平であるためには、悔やみつつ断念せざるを得ません。また、私の方からも、今後はweb上のいろいろなものを、見なく(訪れなく)なっていくと思います。

  とはいえ、ふりかえってみて、PCゲームについて私が考えてきたことをなんとか言葉にしたこのテキスト群が、ゲームに対する思考の一つの型を示すことが出来たのならば、私はそれに満足しなければならないと思います。それは私が他のゲーマー諸氏の前でなし得るであろう最大限そのものであって、それ以上のことは今後もおそらく出来ないであろうという意味でも。例えば、ターン制SLGの機械的なフレームワークの中に、様々なかたちで条件づけられた無数のテキストイベントを、しかもランダム性を重要な表現要素として伴わせつつ出現させていくソフトハウスキャラのゲームデザインが、システム(SLG)と物語(AVG)とプレイヤー(参加者)の交錯表現としてどのような世界を作り上げているかという実例紹介(「PCゲームにおける黙説」)。あるいは、音響表現の機能性に関する一般理論とその最も特徴的な音響演出の実例紹介――のふりをしつつ十数年を閲してようやく口にすることができた『アトラク=ナクア』賛仰(「BGMによる場面転換制御をめぐって」)。あるいは、フェイスウィンドウの取扱いというごく形式的な各論の中で、意見交換の機会をいただきつつ、PC美少女ゲームの十年間がいかに刺激的な実験を行いいかに多様な表現様式を獲得しいかに豊かな成果を残してきたかを、自分の知識と思考の及ぶかぎりの射程で展開しようと試みたスクリーンショットパッチワーク(「フェイスウィンドウの機能についての覚書」)。あるいはコメンタリーとSSによる演出論の拡張、あるいはフラグ体系の理解をゲーム理解に取り戻そうとするいくつかの試論。それらがほんの少しでも、閲覧者のゲームに関する思考を刺激することができたならば、それは私が望み得る以上の喜びです。そして、それだけのことがなされ得たならば、私がこの形でweb上に存在し続ける必要はもはや無いとも思います。

  今までありがとうございました。